●QOL(Quality of Living)生活の質
長寿が当たり前になってきました。健康の概念も以前とは変わっています。
いかに長く生きるかよりも、生き方の質を問う方も増えてまいりました。
生きている限りよく生きたいと思い、なにがなんでも長く生きればよい
とはお考えにならない方も多くいらっしゃいます。
しかしそれが当たり前だと思う方がいらっしゃる一方で、生命の長さに拘る
方もおられます。どっちがいいかという問題ではなく、考え方なのであって、
医師や他人がどうしろと押し付けるものではありません。
押し付けるつもりはありませんが、私の考え方を述べておきます。
私は「人間は生きている限り、尊厳を持って生きるのが理想である。
それには死の瞬間まで最低限の身の回りのこと、例えばトイレや風呂が完全
に自立していなくても、簡単な介助でできることが欠かせない」と考えてい
ます。
よく生きるとは、よく死ぬことを含みます。そこで死にざまがどのような
ものであれば理想的と考えているかということも述べておきます。
私が考える理想的な死とは、「朝いつものように目をさまし身繕いをし、
いつものように散歩に行って、公園のベンチに腰掛けて木々や鳥たちを
見ていたら、何時とはなしに息を引き取っていた。」というようなものです。
大病院でしか働いたことがない私には「大病院での死」が理想とは思えま
せん。(「大学病院で、最期の最期まで先進医療の限りを尽くして貰いたい。
それで死んだとしても納得がいかない。なんで医師に生命が救えないんだ。」
って考える方もいらっしゃいますから、決して私は私の考えを押し付けは
しません。ただ私の所感を述べているだけです。)
生活の質を考えるとき、内臓の病気に苦しむ、痛みをこらえる、嘔気に耐
える、やるせないだるさや気持ち悪さに耐えるというのは御免です。寝たき
りで床擦れに悩まされ、介護に疲れ果てた家族に、やり場のない苛立ちを
ぶつけるなんてのも御免です。
足や腰といった運動器に故障がなく、内臓が丈夫で、頭脳も呆けていない
ままで、一見突然の死のようだけれども、実は生命の火を燃やし尽くして死
ぬこと、それが生活の質であり、生き方の質のように私には思えます。
(2000年1月1日)
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