かなわんなあ(1)
かなわんなあ(1)

かなわんなあ(1)  最近遭遇した「かなわんなあ」。その1。  学閥、医局閥、かなわんなあ。  私は東大出身ですから、学閥で得することはあっても損する ことはないだろ、とお思いですか。そうでもないんです。  最近、私立N医大で手術を受けた患者さんの終末医療に関わり ました。  直腸の悪性腫瘍で人工肛門にしてあった患者さんで、 私立N医大から、整形外科医である私のところに診療情報提供書 が来ました。  始めから終末医療になることは予感していたのですが、相手は 大学病院ですし、東大の時には救命センターがある私立N医大に しょっちゅうお世話になってましたからさほど違和感はなかった のです(なにしろ私は文部教官でしたから、急患の手術に勢力 を割いたために研究に遅れが出たのでは、本務にもとる)。  問題は数ヶ月で起こって来ました。  広範な腫瘍の転移が起こってきたからです。普段私が診ている と言っても、血液検査とかあまたの検査はその大学病院でやって ましたから、異常があれば大学の主治医から手紙くらい来るだろう と思って私は検査を遠慮していたのです(お金もかかりますしね)。  ところがあまりに衰弱が激しいので、見かねて血液検査をして みたらとんでもない貧血があることが分かりました。  さすがにちょっと頭に来まして、「こんなひどい貧血を放置する とは何事だ、残された日々を有意義に過ごして頂くことに治療の 最大の目的があるはずだ、抗癌剤は止めて輸血してはどうか。また 普段の診療を依頼しておきながら全く情報を送ってこないのでは こちらの診療に支障がある。」との手紙をそのN医大の主治医に 書きました。返事はありませんでしたが、この抗議の手紙にN医大 は主治医の下っ端医者ではなく教授が診察してくれて、輸血が 始まったと患者さんが教えてくださいました。  さて、急速に進行している悪性腫瘍ですから、状態はどんどん 悪化しました。輸血のためにN医大まで行くことが困難になって きたのです。そこで、同じN医大の関連病院に輸血などを頼むか あるいは近くの東大系の基幹病院に乗り換えるか、「まあ前者が 穏便でしょうなあ」ということで、N医大に下駄を預けたのです。  N医大卒業の開業の先生は笹塚近辺に2,3人おられました。 そのうちの1軒(小児科)にお願いするか、という話になりました が、案の定診療所ですから輸血は荷が重いということで、沙汰止み になりました。  結局、2駅離れた小規模な小児科病院で輸血を引き受けてください ましたが、ここはN医大とはなんの関係もありませんでした。 ここでつかの間の平穏な日々が来ました。  出来るだけ自宅に居たいという患者さんの希望にはかなり無理が ありましたが、死の2日前まで自宅で過ごされました。呼吸が苦し いと訴えられて往診で気管の腫れを引かせる薬を注射したりして ました。若い人でしたからまだまだ見かけはお元気そうでしたが、 あと3,4日かなあとぼんやり考えてました。その予想はぴったり 当たりました。  最期の2日は意識がなく、しかし安らかであったとのことです。  さて、私がさらに頭に来るようなことが分かったのはその4日後 でした。  すぐ近くの基幹病院(東京の真中ですから大きい病院はたくさん ありますよね)の外科主催の病院と診療所の連携(病診連携)を 目的とした会合に私は出席しました。普段から顔見知りであること は、患者さんをお願いしたりする場合に重要なことですから。 (こういう会って7時頃始まるんです。だから診察時間終了直後 に「1週間前から痛いんですが」なんて言って受診されると私は 大変困ります。なんで1週間前の診療時間内に来れないの。)  なんとその病院の外科は私立N医大の関連だったのです。10 人以上の外科医の殆どがN医大出身だったのです。  しばらくは呆れて口も利けませんでした。しかし、まもなく謎が 解けました。亡くなった患者さんはN医大の第一外科で治療を受けて いた。ところが、その近所の基幹病院は同じN医大の外科とは いえども第二外科だった!!  ああ、学閥よ、くそ喰らえ。医局閥よ、くそ喰らえ。  そんなケツの穴の小さいことでどーする。  いみじくも、その基幹病院の外科部長先生のご挨拶のお言葉。 「当院では大学では出来ないような、QOL(生活の質)を重視 した医療を心がけています。」だって。  ああ、そうだろうよ。大学はQOLなんか無視してるもんな、と とても心に染み入りましたよ。涙が出そうでした、ほんと。  うちの豚児がN医大を受験すると言い出したら言下に止めさせる でしょうね。でも受験できる大学がなくなってしまう? (2000年10月 7日)

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